Profile

上利 理代

Riyoメディカルクリニック 医師
高知医科大学(現高知大学医学部)卒業後、岡山大学放射線科入局。結婚後、双胎妊娠し入院となり一旦離職。第3子出産後より復帰(放射線治療専門医)。その後、岡山時代は家庭第一の働き方をする。途中、子供の習い事をきっかけにJ2ファジアーノ岡山の選手たちと交流を持ち、スポーツドクターの資格を取得。その後、子供たちの中学受験のために兵庫県へ転居すると同時に、在宅専門医としてフルタイム勤務開始。途中、要請がありスポーツ大学で主任教授を引き受け、Jリーグ・大学サッカーのサッカードクター業務を兼務。再び在宅医療・統合医療医として臨床現場メインに復帰。寿命が延びる中、健康寿命やよりよく生きるために何ができるかを提案できる医療人を目指すべく、在宅医療医と未病推進医を同時に進めることを決意。2022年7月 Riyoメディカルクリニックを開院。
上利 理代

Doctors Word

単に生きるのではなく、善く生きねばならない

現在の仕事についた経緯は?

私が幼いころ、物心ついたときには家には寝たきりの曽祖父がいました。当時は介護保険もヘルパー制度もなく母が一人で全ての介護を行っていました。私と2歳上の兄は、時間が来たら曽祖父の体位変換の手伝いをすることが常でした。
そんな我が家に、いつも決まった曜日に町の開業医の先生がカブで訪問してくれていました。体位変換を手伝う私の頭を撫でながら部屋に入り、曽祖父の診察をする先生の背中を、私はずっと見ていました。
それは、いつも張りつめている母の雰囲気がホッとなる瞬間でした。
幼いながら、「お医者さんになったら、お母さんをホッとさせてあげられるんだ!」と強烈に感じていました。それが医師になりたいと思った最初のきっかけです。

仕事へのこだわり

患者様・ご家族・関わる人すべてに対し、愛の人でありたいと思っています。小学校の頃に目にした「単に生きるのではなく、善く生きねばならない」という言葉を、今の時代の全ての人が実感できるように、関わる事ができる医療人でありたいです。
実際に出会う患者様には、診察中に笑顔になれるような、療養中に笑みがこぼれるような手助けができれば嬉しいです。疾患として見えていなくても、なんとなくの不調や機能低下の段階で健康への後押しができれば一番ですし、より生き生きと健康寿命を延伸できるような毎日を提供できる医療をおこなっていきたいと思います。未病段階での引き上げこそが、より生き生きとした幸せな毎日への架け橋ではないかと思っています。

そう思えるようになったきっかけ

女医が家庭を持ち医師を続ける上で、幾度となく覚悟(選択)はしてきました。
一番は、命懸けで娘たちを産んだ時。自分も意識がなくなり心臓が危なかった事もあるし、娘を諦めるよう書面に書いた事もありますが、私は生かされ、娘たちも命を繋いで生まれてくれました。その際に、自分は賢くもないしアカデミックな道を歩めないけれど、生かされ、命を授からせてもらった意味を思い、自分にしか出来ない医師の姿を目指そうと思いました。
元の専門医としての勉強に加え、スポーツドクターや総合内科医・緩和ケア医としての在宅医、あらたな選択肢としての統合医療や再生医療の勉強など、自分に付加価値をつけていくことで、誰かにとっての唯一無二な存在になることを思って信じています。
自分は変人だなあと、ふと思うことがありますが、Uniqueな存在なんて素敵とも思っています。結果として、広く浅くになっている感は否めないですが、絶えず学び続けることで様々な方と出会え向きあえていると感じます。

今後の目標

仕事では2つあります。
一つは自分のライフワークと思っている在宅医療が、どんな人も自分が居たいと思う場所で、十分なレベルの医療や看護を受けられるようになればいいなと思っています。自分は田舎で本当に幸せに育ったなあと思っているので、どんな人もそんな場所で安心して生きていけたら幸せだろうなと思います。
もう一つは、病気になる前に、みんなが自分の体の声をちゃんと聴ける、その聴き方が当たり前に広まって、未病の概念が広まってくれることです。知らず知らずに体の機能低下があるにもかかわらず、みんな気が付かないように頑張って生きていると感じます。
頑張る方向をもっと楽に、元気に幸せにという方向に持っていける世の中になったらいいなと思います。予防医学のまだ先、再生医療がもっと理解されて認知されて、手が届きやすい物となればいいのになとも思っています。
プライベートでは、仕事中毒の私でも子供命で子供のために生きている・頑張っているので、3人がそれぞれの場所でキラキラと輝いてくれたらいいなと思います。彼女たちの心が曇ることがない毎日であってほしいと願ってやみません。

※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。