Profile
岡和田 学
サンライズジャパン病院 病院長
2002年、順天堂大学卒業。順天堂大学病院で小児外科・小児泌尿生殖器外科の研鑽を積み、2008年から3年間、米国ミシガン大学小児外科へ留学。2014年4月から2016年3月の2年間、東日本大震災で被災した福島県浪江町の仮設津島診療所の医師として貢献。2016年、早稲田大学大学院経営管理研究科入学(経営学修士MBA)、2018年3月卒業。2017年12月よりKNIグループが手がけるカンボジアのプノンペン市にある「サンライズジャパン病院プノンペン」の小児・小児外科科部門の立ち上げに従事し、2020年3月より病院長就任、現在に至る。
Doctors Word
失敗を恐れないための準備と失敗の原因探求を怠らない
現在の仕事についた経緯は?
職人であり教育者かつ社会貢献できる職業として医師の道を選択しました。
より繊細な手術手技の世界に憧れ、小児外科医を志望し、技術習得後、日本の少子化が危機的な状況にあることに直面しました。
日本の小児外科医の存在価値を高めること、また日本の小児医療の高水準維持のために、小児人口が増えているアジア諸国へ常勤医として進出し、現在に至ります。
より繊細な手術手技の世界に憧れ、小児外科医を志望し、技術習得後、日本の少子化が危機的な状況にあることに直面しました。
日本の小児外科医の存在価値を高めること、また日本の小児医療の高水準維持のために、小児人口が増えているアジア諸国へ常勤医として進出し、現在に至ります。
仕事へのこだわり
患者さんへの適切な医療の提供のためには、技術習得に時間を要することを理解していたため、常にチャンスを逃さないようにするだけではなく、自らチャンスを取りに行くようなスタイルを貫いてきました。
非常に生意気な研修医・新米医師であったと思いますが、納得のいく答えが出るまで調べ、先輩にも意見をしつこくぶつけることもあり、煙たがられていました。
また、診断治療などで選択肢がいくつかあった場合には、一番難しく自分が嫌だと思うものを常に選択するように意識してきました。20代30代は勢いと自分の研鑽にすべてを捧げ、とにかく少しでも早く“一人前の医師”となることを目標としていました。
一方で、アメリカ研究留学を通して個人の力に限界を感じ、組織力とマネジメントの重要性を学び、臨床力とマネジメント力を活かせるチームを作成することを意識。日本帰国後は医局長として、医局外との交流も盛んに行い、医局員とその関係者がいかに働きやすく、臨床レベルも維持しながら勤務できるかを常時考えるようにしていました。
その根本には常に“患者さんのために”ということを意識するよう教育もすすめてきました。
非常に生意気な研修医・新米医師であったと思いますが、納得のいく答えが出るまで調べ、先輩にも意見をしつこくぶつけることもあり、煙たがられていました。
また、診断治療などで選択肢がいくつかあった場合には、一番難しく自分が嫌だと思うものを常に選択するように意識してきました。20代30代は勢いと自分の研鑽にすべてを捧げ、とにかく少しでも早く“一人前の医師”となることを目標としていました。
一方で、アメリカ研究留学を通して個人の力に限界を感じ、組織力とマネジメントの重要性を学び、臨床力とマネジメント力を活かせるチームを作成することを意識。日本帰国後は医局長として、医局外との交流も盛んに行い、医局員とその関係者がいかに働きやすく、臨床レベルも維持しながら勤務できるかを常時考えるようにしていました。
その根本には常に“患者さんのために”ということを意識するよう教育もすすめてきました。
そう思えるようになったきっかけ
恩師である順天堂大学小児外科 山高篤行教授との出会いが今の私の原点であり、山高教授ほどしつこく、限界まで挑戦する医師に出会ったことはありません。
医師として山高教授を越えることを目標に現在も取り組んでいます。また、留学中の恩師であるアメリカミシガン大学小児外科 故Daniel Teitelbaum教授にはマネジメントのノウハウと医師としての生き方を直接指導頂きました。
医師として山高教授を越えることを目標に現在も取り組んでいます。また、留学中の恩師であるアメリカミシガン大学小児外科 故Daniel Teitelbaum教授にはマネジメントのノウハウと医師としての生き方を直接指導頂きました。
今後の目標
まだまだ一人の医師としては発展途上の段階であり、今後も研鑽を積んでより高いレベルを目指していくとともに、日本の医療が海外で通用することを証明し、自分のようなキャリアに興味を持ってフォローしてくれるような後輩(日本人だけではなく、外国人含め)の指導にも関わっていきたいです。
マネジメント人材としては、医療を中心とした街づくりと新たな文化の創造を進めていくつもりです。
マネジメント人材としては、医療を中心とした街づくりと新たな文化の創造を進めていくつもりです。
※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。