Profile

鵜野起久也

医療法人社団 東京ハートサミット 東京心臓不整脈病院 理事長・院長
札幌医科大学医学部卒業。国立循環器病センター(現国立循環器病研究センター)心臓血管内科レジデントとして心臓病・不整脈疾患を専攻し、カテーテルアブレーション実験・臨床応用に従事。国立循環器病センターで、不整脈の師となる大江透先生(後に岡山大学医学部循環器内科教授)との出会いが医師としての進むべき道を決めることとなる。1995年から米国Ohio州ClevelandのCase Western Reserve大学心臓内科に留学。不整脈研究の世界的権威 Albert Leon Waldo先生のもとで、リエントリー性不整脈の電気生理学的機序とカテーテルアブレーション治療の研究に没頭する。その後札幌医科大学に戻り、第二内科(現循環器・腎臓・代謝内分泌内科)講師として、不整脈治療を軌道に乗せ、後進の育成も行う。カテーテルアブレーションの指導者として海外の大学・病院に頻繁に招聘され多くのカテーテルアブレーション治療を行う。2006年当時の日本でカテーテルアブレーション治療の聖地とされた土浦協同病院の家坂義人先生(当時土浦協同病院副院長のちに院長、現 東京心臓不整脈病院最高顧問)から申し出を受け、循環器内科部長として赴任。国内外からの多くの留学医師にカテーテルアブレーションを指導。国際・国内学会での多くの講演、学会事務局を主催する。その後東京医科大学八王子医療センター循環器内科准教授。大学病院での不整脈治療の立ち上げ軌道に乗せながらも、「心臓・不整脈医療はどうあるべきか」を自らに問い続けた。再び臨床畑に身を投じることを決意し大学を辞す。故郷札幌のハートセンターで不整脈センターの立ち上げを行い、名実ともにカテーテルアブレーション治療日本一に押し上げる。2018年から、心臓カテーテル日本一の千葉西総合病院 三角和雄院長からの強い要請を受け、同院不整脈センター長として赴任。後進育成に尽力する。長年追いかけてきた自分の夢を実現すべく、2021年6月15日に東京都江戸川区平井に、「でき得る限りの最善の心臓・不整脈治療を市井の人々に、一途に治す」を掲げ、東京心臓不整脈病院を開院。
鵜野起久也

Doctors Word

不忘初心:初心忘るべからず

現在の仕事についた経緯は?

幼少期から誰に言われることもなく「医者になりたい」と言っていたようです。親の話では2-3歳の頃、地を這うアリの行方を何時間もじっと追いかけている子供であったようです。確か、小学生の頃に札幌医大病院で日本初の心臓移植手術が行われたことに大きな衝撃を受けたのを覚えています。当時は北海道の田舎に住んでいましたが、親にせがんで札幌医大病院に札幌医科大学病院に連れて行ってもらいました。大学病院の心臓外科病棟をおっかなびっくり覗いていたことを思い出します。自然と大学は札幌医科大学に入学し、医学生時代は最初、心臓外科を考えていましたが、臨床研修で心拍・血圧を自在にコントロールする全身循環管理に強く惹かれて循環器内科を選択しました。

仕事へのこだわり

研修医時代から、同期や先輩医師の中で誰よりも多くの心臓病患者を診ることを心がけていました。関連病院へ配属された時には、当直中に入院となった患者は自分が主治医になれるので、先輩医師にお願いして自分の当直以外に先輩医師の当直を肩代わりして沢山の患者を診る事が出来ました。他の医師よりも多くの循環器治療を経験して、自信と責任とは何かを勉強することが出来ました。さらに心臓病を勉強したい気持ちが湧き上がり、大阪の国立循環器病センター心臓血管内科のレジデントに応募し、選りすぐりの凄い連中ばかりで同じ釜の飯を食い、本当に良い時間を過ごしました。私が不整脈を専攻することとなったのは、初めて参加した不整脈カンファランスで、主宰する大江透先生の話している言葉は日本語ですが、内容が全く理解できなかったのがショックですぐに門を叩きました。カテーテルアブレーション治療のなかに自分が埋没していきました。レジデントを終える時、そのまま大江透先生の下で不整脈をするか札幌に戻るかで悩みましたが、「大江の教えを日本に広く届けて最新で最高の医療で地域に還元しろ」と言ってくれた先生(名古屋の加藤林也先生)の言葉に自分の医師人生を決めた気がします。大学に戻り、不整脈治療後進地域であった北海道でいち早く高周波型のカテーテルアブレーション治療を立ち上げ、後進を育成しました。一人で不整脈を追求するうちに独善に陥るかもしれないという漠然とした不安と、さらに勉強したいという沸々とした気持ちの中で仕事をしていたと思います。治療の限界という臨床の壁にぶち当たり、いてもたってもいられず米国に渡りました。

そう思えるようになったきっかけ

不整脈メカニズム研究の第一人者であるWaldo先生のもとで、動物実験・カテーテルアブレーション治療を研究に没頭しておりました。大学から逃れるように日本を離れましたが、3年が過ぎ、大学からスタッフとしてのポストを条件に帰国命令があり出身大学へ戻りました。帰国後には、やはり「最新で最高の医療を患者に還元する」ことを思いながらの毎日でしたが、病院の特性やシステム、そしてあるべき医療とのギャップに悩みながらの不整脈診療の毎日でした。そして自分の「治療技術の向上に日々邁進する!」ことに拘泥していました。そんな矢先に、臨床不整脈分野では、カテーテルアブレーション治療の聖地と言われた土浦協同病院循環器内科の家坂義人先生から、「うちの不整脈を任せたい」と申し出をもらい二つ返事で赴任しました。「理想の不整脈治療の聖地」として国内外からの多くの留学生を育成し、国際・国内学会の主催などトップランナーとして先進的な仕事を次々とこなしていきました。「理想の不整脈の聖地」とは、学閥や年功序列などの意味不明なコネクションに左右されずに優秀な医師が集い、患者に最善の医療を提供できる施設であること。家坂先生と語りながら夢見ていました。その後も私は思いを捨てきれず、札幌ハートセンンター・千葉西総合病院不整脈センターの立ち上げを経て、理想を実現すべく、2021年6月に東京心臓不整脈病院を設立することになります。

今後の目標

「治療技術の向上に日々邁進する!」 「理想の不整脈治療の聖地をつくる」ことです。自分が不整脈診療を専攻し、カテーテルアブレーション治療を自分の人生を賭けるに至ったあの情熱を忘れない。その思いを片時も忘れず、市井に生きる人々の、この病院にこの身を投じて臨床に生きること。これが自分の医師としてのスタイルです。そして、心臓病・不整脈疾患を「一途に治す」ことで、地域医療に還元すること。そして、次に続く後輩医師が、「最高の医療を体得し、その思いを治療に具現できること」。最高のパフォーマンスは、人生を賭けた治療への情熱をその一瞬一瞬に刻み続けることで生まれるから。

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